息子の事を振り返って、これまでの事を思い出してみました。
一人目の子供が生まれた時は、子供の健康にばかり気を遣っていたのに、ちょっと話すようになったらすぐに 何か才能は無いのか、あったら伸ばしてあげなければ。。と強く思い、いろんな習い事に通い始めました。
長男が通った習い事
体操クラブ・・・3歳くらいから約3年間
ピアノ・・・3歳くらいから小6まで
そろばん・・・小3から約1年間
サッカー・・・小1から約3年間
水泳・・・4歳くらいから小4あたりまで
テニス・・・小4年から約1年半
なぜこんなに習い事をさせてしまったのか
私は息子にはずっと、社交性があまり無いように感じていました。
それは性質的なもので、私自身にも多少当てはまる所はあるのですが、将来まわりと上手に波長を合わせてするような仕事は、かなり向いていないのかもしれない。
なので、何か、何か、人より秀でている才能はないのかと、ずっと思っていたのです。
どの習い事もけっこうスムーズに習得していて、それなりに褒められたりしていたようですが、すごい才能があるとはゆわれた事はなく、、本人もどれが好き!とゆうのも無いみたいで、やめる時も全然未練もなかったみたいでした。
結局、スポーツや芸術はあきらめ、私は中学受験をさせることにしました。
小学校4年からは中学受験塾に通い始めたので、週1のピアノ以外はやめてしまいました。
まだ声変わりもしていない、幼い4年生の息子は、塾通いも嫌がらず、素直に頑張ってくれました。
中学受験競争へ
この中学受験でも才能を探すことに重点を置いていたので、最初から最難関校希望のスタンスだったのですが、当初は塾の先生からは、息子のレベルは中堅校あたりだとやんわり言われました。
最難関校を目指すのには、ちょっとしんどい偏差値の模試の結果に、何度も親子でくじけそうになりました。
でも、どうしても息子には上を目指して頑張って欲しくて、何度も「あなたには才能がある、だから頑張ろう」と言い続けました。
そうこうしているうち、4年生が終わる頃に、やっと上のクラスにあがることが出来ました。
そのことが本人の意識に作用したようで、それからはずっと一番上のクラスにいつづける事が出来ました。
それでも、受験の直前まで、塾の先生に5部5分あたりと言われていた最難関校の一つには合格することが出来ました。第一希望にしていた学校は不合格でしたが。
その不合格だった第一希望校は新進気鋭の進学校で、勉強の面倒見、海外語学研修、体験学習、個性的な講座を取り入れており、もし合格したら、受け身体質な息子をリードしてくれる事を期待していました。
反抗期と中だるみのダブル
息子も6年生くらいから、けっこう反抗期が増していき、中学受験のクライマックスの1年間は本当に大変でした。息子の小学校と塾と宿題で自由時間がほぼ無いストレスと、母の息子の時間を管理をしなければならないストレスがぶつかって、毎日バトルの連続でした。
それも合格と共に終わりです。
そこからは強制される宿題もあまりなく、すぐに中だるみの世界に突入です。しかも本格的な反抗期が始まってしまい、親のゆうことを嫌がり、だんだん聞いてくれなくなっていきました。
それでもバトルを繰り返しながら、今でもゆるめに勉強へ促す声かけのような事をし続けてはいます。
今の学校での定期テストでは真ん中よりちょっと下あたりで、実力テストなどはもっと下位になる感じですが、息子はそれを自然に受け止めているようです。
本人のやる気を待つ
もう自我の花を咲かせ、一個人の意志が出来上がろうとしている時なんだろうと思います。なかなか親のゆうことを素直には聞きません。
いつか、まわりの友人や先生、環境から影響を受けて、本人自身が強い向上心に向かってくれればいいのですが。。
まとめ
結局将来の確固たる才能とゆうものは、私自身は見つけることは出来ませんでした。
母親の私も子供とともに成長したのか、歳をとったのか、息子が普通に学校へ行き、終わったら真っ直ぐ帰ってきて、私がキッチンで料理をしている部屋のソファーでのんびりしているのを毎日見ていると、これも良しかな と思えるようになってきました。
それに、普通に生活できる、これもまたいろんな才能の中の一つなのかもしれません。