小さい時からおっとりした性格で、目立つ事がほとんどなかった娘の話をします。
兄が幼少期から沢山の習い事をしていたので、続いて下の子の娘も同じようにその同じ習い事をさせていました。
娘の通った習い事
ピアノ・・・4歳くらい小5まで
そろばん・・・小2から約1年間
バレエ(ゆるく)・・・4歳から小3くらいまで
水泳・・・4歳くらいから小4あたりまで
テニス・・・小2年から約1年半
こんな感じです。
匙を投げられたピアノ教室
ピアノ教室では何度も先生に叱られていました。
年少からのんびり始めたピアノでしたが、娘があまり練習したがらないので、私もちょっと手を抜いていたせいと思います。
1年生くらいから先生がものすごく厳しく叱るようになりました。
30分のレッスンなのに、始まって10分後には怒濤の如く怒りはじめて、娘も号泣が止まらず、レッスンが途中で中止になる事が度々おこりました。たいてい、私はレッスンを横で見守っていたのですが、いつもハラハラしていました。
何度かそんな事があって、ある日先生が「お母さん、うちでは娘さんを教えられません。ピアノは他のところで、レッスンしてもらって下さい」と言われました。
この時、そうですかとあっさり辞めてしまえば良かったのですが、でも、娘はレッスンが終わったら、いつもケロっとしていた事もあり、その時は先生に頭を下げ、どうにか娘のレッスンを続けてもらうようにお願いしたのです。
その先生は華やかな性格をされていて、お話上手でとても楽しい方でしたが、反面気性が激しい所があって、息子や他の生徒さんも何度か号泣レッスンを受けていました。
今から思うとあんなに娘が号泣していたのに、どうしてすぐ辞めさせなかったのか、とても後悔しています。
号泣レッスンした後は、娘はすぐにケロっとしていました。
ですが、傍観しているだけの私の体調がきまって悪くなりました。
私がだんだん辛くなり、その匙をなげられてから1年後くらいで、そのピアノ教室を辞めることにしました。ついでに兄も一緒に辞めさせました。そして今度は優しいと聞いたピアノの先生を、知り合いの方に紹介していただき、そちらに通うことにしました。
その後は6年生の夏休みまで、強く叱られる事もなく、その先生のところで穏やかに通う事が出来ました。
でもね、その号泣レッスンの先生の教室は、レベルが高い生徒さんが集まるコンクール専門のような教室ではなかったし、他にも練習をあまりしてこない生徒さんも何人もいたと思います。
なのに、周りの方に聞いた中では、匙をなげられたのはうちの娘だけでした。
なので、
そこまでダメなんだ → 物覚えが悪い → 頭が悪い
と思っていました。
テニスもバレエも水泳も、それなりに楽しく通っていましたが、けっして上手な方ではありませんでした。
そろばんは同級生が受かっている検定に受からず、先生に問い合わせてみましたが、「指の動きが少々遅いですが、そのうちに受かりますから」とのことでした。
まあ、娘は息子と性格が違って、のんびり、ゆったりとしています。なので、成績が多少悪くても、検定試験に何度落ちても、私もまあいいかと過ごしていました。
なぜかとゆうと、娘は息子とは違って、(あくまで親目線ですが)自我が強く、練習や勉強を促しにくい性格でした。それに、娘はおおらかで明るく、兄のような心配(社交性の無い→将来の不安)をあまり感じなかったからです。
兄の中学受験
兄が4年生の時に中学受験塾に入った事で、妹も兄の学習内容に強い興味を示し始めました。
私が NIKK映像の『知ってる?・・』『わかるよ!・・』のシリーズのDVDをたくさん購入し、何度か子供たちと見たのですが、これは幼い2人にはとてもうけていました。
娘は本が好きなんだ と感じ、週末は車で15分くらいの大きな図書館に出かけて行き。娘の選んだ沢山の本を借りて読むようになりました。
その頃から娘は本をものすごく読むようになりました。
進学塾に通う
1年間ソロバン塾に通っても、計算があまり得意ではないようだったので、気分を変えて3年生からは最寄りの進学塾に国語、算数、おまけの英語に通う事にしました。
この進学塾は4年生から、中学受験塾コースと普通コースを選択するようになっていて、3年生はそのお試しのようなコースで、授業料を安く設定してくれていました。
なので、気楽に始める事にしました。本人も授業形式をとても楽しんでいました。
なにせ、この頃兄が忙しくなり家にあまり居ないので(5年生になり塾通いが増えた)、寂しかったのもあったと思います。
娘の自尊心が芽生える
その塾での初めての公開模試の結果は、国語の偏差値が70で算数が60でした。
あまり期待していなった事もあり、すごく驚き、すごく褒めました。
塾の先生にも褒めてもらい、そしてそれがきっかけとなり、娘の中に自尊心が芽生え始めたと思います。
中学受験へ
もともと、うちの経済事情もあり、のんびり屋の娘は地元の公立中学校へ通わすつもりでしたが、本人の強い希望もあり、主人共話し合い、娘も本格的に受験させることにしました。
なので、4年生に上がる時、兄が通う塾(以前の塾より競争がハード)に転塾させることにしました。
最難関校に合格
その後、成績は多少の浮き沈みはありましたが、6年生の最後まで一番上のクラスに残ることが出来ました。そして最難関校とされる学校に合格し、現在無事通学しております。
今の学校では、周りの友達の成績に埋もれていますが、あまり焦る様子もなく、毎日学校での出来事を楽しそうに私に教えてくれます。
将来の進路
いつものんびりしている娘は、将来の仕事について突き詰めて考える事は今は無いようですが。いつか自分がやりたい、進みたい事が見つかったら、全力で応援してあげようと思います。
感じたこと
ピアノの先生には呆れられたのに、勉強に適正があったのは予想外でした。
でも、今思えば、それはいくつかのきっかけがあったからだと思います。
・ことわざ・四字熟語の絵本
私にはよく分からないのですが、その本が何かのきっかけになったような気がします。
その時読んでいたのは
「ことわざをおぼえる辞典」 挿絵:五味 太郎さん、編集者:川嶋 優さん
で、その本を朝から晩まで側に置いて、時々読んでいました。
いわゆる、”はまった” とゆうやつです。
当時はとにかく、ことわざが大好きでした。
・兄の受験勉強への強い好奇心
兄が始めた受験勉強に対して強い関心を示していました。
時々こっそりと兄の教材を真剣にみていました。
・成績を褒められたこと
塾で良い結果が出た時、私は本当に心から娘を褒めていました。
ピアノ教室のこともあり、娘が良い結果を出すと全く考えていなかったせいでも実はあるのですが。。
最近本人から聞いたのですが、それがあの頃一番嬉しかった事だそうです。
ピアノやそろばんの習い事の時も、何か見つけて、もっと褒めてあげれば良かった。。
最後に
個人的に感じたことなんですが、子供は褒めて育てようと言われるのですが、適当に褒めるのではなく、成果が少し出た時には少し褒め、大きく出た時は大きく褒めるのがいいと思います。
そのさじ加減が難しいですね。
また何に適正があるか、小さい時は分からないので、大人がいろんな事を、出来るだけわかりやすいように示してあげるといいと思います。