コロナ禍が始まって以来、教育格差がクローズアップされています。
今回は、この教育格差について考えてみました。
子供たちは教育格差の認識ができない
教育格差は昔、大昔からずっとありました。
昔の方が、もっとひどかったと思います。
でも、よく考えてみたら、教育格差のことを、当の子供のほとんどは分かっていないのではないでしょうか。
私自身の事を思い出してみると、昔、父に私の4年制大学に進学したいと話したら、「女はそんなに勉強しなくてもいい、大学の費用は弟に残す」と言われ、短大に進学することになりました。
私の家はけっこう田舎に立地していましたし、時代もありましたので、このような男尊女卑的な言動は日常茶飯事でした。
家の経済状況の事も理解していたし、周りの女の子の友達のほとんどが短大に進学するので、多少は不満だったのですが、その後はあっさりと受け入れて、方向転換しました。
結局、私の弟は勉強が嫌いで大学受験はしませんでした。
だからと言って、親は何も言いませんでした。
私の父は中卒(昭和16年生まれ)です。叔母(父の姉)がゆうには、本当に勉強が嫌いなヤンチャ者だったそうです。
私の母(昭和15年生まれ)は家庭科の高校を卒業したそうで、手先は起用ですが、勉強は嫌いだと思います。
そして、私の姉はテスト勉強をしている姿を見たことがないくらい、勉強が嫌いでした。
幼い頃から、親が子供の教育に関わった事はほとんどなく、「勉強しなさい」と私たちは親から言われたことは一度もありません。
近所の親戚のおばさんが算数だけ教えていて、そこに幼なじみたちと通っていたのと、公文式に通わされた記憶があります。
でも、そのプリントを親が見にきたことはありませんでした。
その他の勉強も、何をしているのか見に来た記憶はありません。
子供への学習内容には、ほとんど興味がなかったんじゃないかと思います。
なので、勉強の事や進路の事を、親に相談しようと思った記憶がないくらい、良くいえば自由な家庭、悪くいえば教育ネグレクトな家庭と言えました。
そんな家庭で育ったので、子供の頃から、そして社会に出てまでも、そもそも教育格差が何なのかを、深く理解することなく暮らしてきました。
でも、必要な物は買い揃えてもらっていたし、食事はきちんと食べさせてもらっていました。健康にも気を使ってもらっていたし、愛情は人並みにかけてもらっていたと思います。
一般常識的なしつけ(挨拶や、人に迷惑をかけない、知らない人にはついて行かない等)もしてもらったはずです。
私の親なりに、やれる事はやってくれたのですから、感謝しています。
でも、自分に子供が生まれ、学校へ通うようになると、だんだんと見えてきたのです。
教育格差がどんな事なのかです。
教育格差って、どんな事なのか
私は子供の頃、近所の幼なじみたち数人と毎日、一緒に下校しました。
くだらない事をしゃべって、笑って、田舎道をランドセルを背負い、歩きました。
本当に楽しかった記憶です。
その幼なじみの一人の男の子は、中学校から私立の中学校に通う事になりました。
家が近所なのに、小学校を卒業してから会った事はありません。
もう顔も思い出せないのですが、その男の子の家の庭がめちゃくちゃ広かったこと、その子のお母さんが、一緒に算数を教わっていた親戚の叔母さんに、よろしくお願いしますと何やら言っていた記憶があります。。
私たちは、その子が私たちと違う問題集を勉強していたことなんか、当時は知りもしませんでした。
そして、その子がどの中学校に入学したかも知らなかったし、みんなと仲良かったのに、どうして違う中学校に通うのか分からなかったのです。
恥ずかしい話しなのですが、その「どうしてが」こんな歳になってから理解できたのです。
その男の子の家は地元の地主さんで、あんな田舎な地域では本当に珍しいことですが、三人息子を全員私立中学校に通わせたそうです。
でも、小学校時代の私たちには、何もわからなかったのです。
その男の子がいなくなって、寂しかっただけでした。
そして、今は「どうして」が明確にわかるようになりました。
お金ではない教育格差
もし、私の親に宝くじが当たったりして、当時、お金持ちになっていたとしても、あの男の子のお母さんのように、叔母のところへ、あのようにお願いに来ていただろうか。
おそらく来てはいない、違う事にお金を使っていただろうと思います。
さすがに、4年生大学に行かせてとお願いすれば、お金がたくさんあれば行かせてくれたかもしれませんが。
私の親が生きてきた過程や、性質の中では、教育が大事だとゆうのが分かっていても、価値観の中では「教育」は優先順位が低いのです。
なので、私の年老いた母は、今でも、なぜ私が子供の教育に熱心なのか、分かっていません。ただ、「熱心やねえ。」と褒めてはくれますが。
まとめ
教育格差は経済格差と必ず関係するとはいえません。
たとえ裕福な家庭に生まれても、「教育」の優先順位が低い価値観の中で育てば、知的分野に欠けた大人になってしまい、将来、金銭的な憂き目に遭うかもしれません。
たとえ経済的に恵まれていなくても、「教育が大事だから、なにより優先する」と考えることが出来る家庭では、なんとか工夫をこらし、経済格差を乗り越える事ができるかもしれません。
悲しいことですが、それを乗り越える事が困難な国が世界にはたくさんあります。
日本では、そんな国と比べるとそれは、ずっと容易な事にあたるのかもしれない。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。