Moms-diary’s

思春期の子供2人と中年の夫と暮らす主婦の日記

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昔は魔法の飲料、コカコーラの黒い歴史をひもといてみたら、現在、安全とされているものは大丈夫なんだろうか。。

こないだ、岡田斗司夫さんのコカコーラの歴史について語っている動画を見たんですが、とても興味深かったので、ご紹介したいと思います。

 

 コカコーラが誕生した時代

 

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1865年、アメリ南北戦争が終わったが、アメリカのアトランタは、辺り一帯が焼け野原になっていました。

その後、約20年後の1886年に、復興したアトランタの街でコカコーラが生まれました。

アトランタ南北戦争後10年間は荒廃していたが、その後アメリカは史上最大の復興予算を組み、アトランタは華やかに生まれ変わりました。

当時、南北戦争での南軍・北軍の激論を交わす場所の為に、戦況を知らせる為にも、新聞が積極的に読まれ、その後も新聞は拡大していきました。

そして、新聞のスポンサーとして、売薬会社が活躍し、新聞と一緒に大産業になりました。

当時は戦争で怪我をしたり、医者不足ということで、薬の宣伝ばかりでした。

何やってもお金を稼ぐ事は推奨され、インチキ薬の総本山のようになっていき、

毎週、何十種類もの嘘薬が発売されました。

というわけで、新聞広告の半分以上は薬品でした。

南北戦争前は、奴隷経済で人手での豊かさで賑わっていたが、戦争復興後はお金による豊かさが躍進しました。

 

元々、南部アメリカは上品とされていた所なのに、復興したアトランタは全く違う街になっていました。

そして、アトランタはすっかり、拝金主義のアメリカの中心地になっていきました。 

 

アメリカ南部は農業国から工業国へ変化し、農家の自然の世界で過ごしていた、9割までの人々が、皆、工場で働きだしました。

きっちり、時間どおりには働くことになったストレスで、神経症で訴える人々が増えていきました。

当時のアメリカでは、近代アメリカに適応していて、神経症、消化不良(肉体労働ではないので、運動不足の為)を訴えているの事が、お金持ちの証拠のようなものでした。

そこで、ヨーロッパの炭酸水が注目されました。

炭酸水を飲むと頭痛が治り、不安が解消され、消化も良くなると言われていました。

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ドイツで人工の炭酸水が開発されて、アメリカにもそれがやってきて、薬局に炭酸水を飲むだけのブースが出来はじめました。

そして、それはソーダファウンテンと呼ばれ、だんだんそれが若者の社交場になっていきました。

  

 

麻薬ドリンク「コカ・コーラ」の誕生

漢方医であった、ジョン・ペンバートン博士は南北戦争で傷を負っていました。

彼はその痛みから毎日モルヒネを打っていて、モルヒネ中毒になっていました。

なので、当時「奇跡の薬品」とされていたコカを使った薬を発売したかったのです。

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そこでベン・パートン博士は、炭酸水で割る原液の薬を探し始めました。

ある日、ペン・バートン博士は、アトランタ市議会が禁酒法を、アメリカに先んじて可決しようとしていた記事を読みました。

博士は考えました。

禁酒法が成立がしたら、皆アルコールに変わるものを求めるだろう、皆は酒に変わるものをソーダファウンテンで飲もうとするだろう」

そして、ペルーから届いたコカの葉と濾過器を使い、究極のドリンクを思いつきました。

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コカの葉の歴史は古く、紀元前3000年には古代インカ帝国の人々に利用されていました。 

 コカの葉をかみながら山登りをしたら、疲れずにご飯を食べずに、登ることが出来ると言われていました。

 

1859年にドイツの科学者がコカの葉から初めてコカインを抽出しました。

そして、その効果は、だんだん医療関係者に知られるよになっていきました。

そしてコカを使った飲み物(ワイン)が発明され、ヨーロッパで大ブームになっていきました。

なんとエジソンや、ビクトリア女王ローマ法王までもが愛飲していたというのです。

ヨーロッパのフロイトフロイト精神分析)も万病の薬と絶賛しています。

フロイトは、自分にも患者にもコカインを処方して、多くのコカイン中毒を作ってしまっています。

皆、副作用の事は全く考えていなかったようなのです。

 

ペンバートン博士は、このコカとアフリカ原産のコーラの実(カフェインが4%も入っている)を両方使い、アメリカ製のワイン、「フレンチ・ワイン・コカ」を完成させました。

 

禁酒法が始まる前に1~2年猶予期間があって、禁酒ドリンクが生まれだしました。

ペンバートン博士は「フレンチ・ワイン・コカ」からアルコールを抜いて、ソーダファウンテンで販売することにしました。

それが、コカコーラでした。

 

そんな時代の中で、このコカコーラは大ヒットしていきました。

  

ペンバートン博士はモルヒネ中毒が悪化して、早々に、この原液の権利をたった1ドルで売却していきます。その後、その権利は人から人へ複雑に移り変わっていき、最終的にはエイサ・キャンドラーという人が手に入れました。

そして、キャンドラーは、コカ・コーラ・カンパニーを設立しました。

 

 

黒人奴隷とコカコーラ

奴隷解放宣言の後もいたるところに黒人奴隷農園があって、奴隷たちは1日に1回、食事の代わりにコカの葉を与えられていました。

奴隷たちはコカの葉の効果で、自分たちの疲れが分からずに、倒れるまで働いたと言われています。

それほど、南部の農園では、コカの葉を使って奴隷を働かせるのは当たり前になっていたそうです。

 

そんな背景の中、当初コカコーラは原液で売られていました。

そして薬局では、この原液を20倍に薄めるよう指示されていました。

しかし、店側は、この倍率を、その場その場の適当な倍率で希釈して、販売していました。

なので、店側は20倍ではなく、もっともっと濃いものを出す事もあり、飲んだものはすっかり興奮して帰っていったそうです。

クリームソーダを飲みに来た子供にも、サービスで濃い成分のコカーコーラを飲ませてしまい、子供は3日ほど眠れなくなってしまったこともあったそうです。

 

とにかく1杯わずか5セント(酒の半額から10分の1くらいの金額)を払えば、誰でも飲むことが出来ました。

 

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そん中、黒人が白人の雇い主を襲ったとか、黒人の男性が白人女性をレイプしたとかいう噂が広まり、いたるところに黒人をリンチにかけて、その復習を黒人がしたとかいう噂がまたとんで、さらに黒人のリンチが激しくなっていき、そうしてあの有名なアトランタ人種暴動」が発生しました。

 

この噂は、どんどん尾ひれがついて、”白人を襲った黒人はコカイン入りのコカコーラを飲んで、気が狂って白人を襲っている”という事実ではない噂に発展していきました。

このおかげで、コカコーラは大ダメージを与えられてしまいました。

この事で、キャンドラーはとうとう、コカコーラの成分からコカインを除きました。

そしてその後、原液ではなく、ボトルにつめて販売することにしました。

 

キャンドラーはペンバートン博士から、奪い取るようにこの原液の権利を得ました。

そして、この原液のオリジナルレシピに非常にこだわっていました。

最後の最後まで、どうしてもオリジナルレシピでいたかったのですが、成分のコカインをめぐる問題がどこまでも大きくなってしまい、ついにオリジナルレシピにメスを入れることになりました。

 

そして、もちろんですが、現在のコカコーラには、コカインの成分は一切入っていません。ご安心下さい。

 

※ 参照:岡田斗司夫さんの「黒歴史の時間、コカコーラ編」の動画より

 

 最後に

コカインは、強い中毒症状を起こし、体を壊していく事が長い間、解明されませんでした。

近代世界に入ってもコカの葉は「魔法の薬」と言われました。

そして、コカインの成分が入ったコカコーラが起こしていく問題が原因で、最終的にはその成分からコカインを完全に取り除くことになりました。

今では不動のコカ・コーラ」ブランドが確立されています。

 

長い歴史を持つコカの葉から抽出されるコカインは、その昔は、万能の薬とされ、健康を害すると分かるまでは、多くの人の健康を損なわせ、多くの死者を出していました。

 

こういう歴史を見ていくと、現在、国が認めている合成添加物や、遺伝子組み換え食品なども、このコカインのように、今後何十年後、もしくは何世代か後には、実は人間の体に健康被害が及んでいたという事実がでてくるかもしれません。

当時と今では科学のレベルが違うので、比べるのはどうかとは思うのですが。


でも、国も企業も、利益を追求するあまり、見えなくなっていることがあるのかもしれません。