もうすぐ終戦記念日ですね。
毎年、この頃は反戦のテレビ番組がよく放送されていますが、最近は昔ほど大きく取り上げていないように感じます。
こないだ、岡田斗司夫さんの動画で、終戦直前のアメリカ軍や日本軍の事を話されていて、その内容に驚愕しました。
昭和20年8月15日に天皇陛下の玉音放送があって、日本の戦争が終わり、そして日本は戦後復興していった、との認識はありました。
もし、その時に日本が降伏していなかったら、さらに恐ろしい、絶望的なことが日本に待ち受けていました。
恐怖のダウンフォール作戦
みなさん、ダウンフォール作戦って、知っていますか?
ご存知の方もいるかもしれませんが、
私は、今まで知りませんでした。
ダウンフォール作戦とは、日本の本土を侵略する作戦のことで、
オリンピック作戦(1945年11月11日予定されていた)で、いくつもの原爆を落としながら、大規模にサリンを撒きながら日本の九州に上陸し、そこに1万機のB29を配置し、次にコロネット作戦(1946年3月1日予定されていた)で九十九里浜と相模湾から上陸し、東と西から挟み撃ちで東京を占領する、この二つ作戦のことです。
上陸時の攻撃を極力抑えるために、九州南部を徹底的に空襲し(実際九州は終戦直前にかなり空襲されています)、このサリンを撒き散らしながら、原爆を落としながら、のとてつもない恐怖の攻撃ですが、日本は中国に化学兵器を使用していた事実があるので、日本に対してサリンを使用しても、国際的に避難を激しく受けることも無い、という計算の元で使用を決めたそうです。でも、原爆の事はどうだったのでしょうか。
アメリカは、このダウンフォール作戦で、50万人を超えるアメリカ軍の死傷者を想定していたのですが、それでも推し進めようといしていたのは、
- もともと1943年11月に実施されていたエジプト・カイロ会談で連合軍がこのダウンフォール作戦を考えてた
- 硫黄島やフィリピン、沖縄戦での日本の抵抗が本当に激しくて、アメリカ軍、連合軍を強烈に恐怖させていた
- 敗戦色が濃厚になっている日本だが、全く降伏しようとしなかった
という理由からです。
ただ、この計画のアメリカ軍の想定した死者数50万というのは、甘い計算だったようで、実際はおそらく500万にくらいのアメリカ軍の犠牲者になるとも言われていたようです。こんなにも大きな犠牲者が出るかもしれない計画なので、アメリカの中でも賛否があったそうです。
日本側の一億玉砕作戦
日本はこの ダウンフォール作戦を察知し、それに対抗する計画を企てていました。
男子15歳から60歳、女子17歳から40歳まで根こそぎ徴兵した2600万人と陸海空軍500万人合わせて3100万人の軍隊を編成して、それが一人残らず死ぬまで戦えば、おそらく東京の軍の中心部だけは守られるだろうというのが、一億玉砕計画です。
つまりは、軍の偉い人(そして皇族と)だけが生き残る計画。。
じゃあ、その偉い人たちが生き残ったって、その後もきっと連合軍が違う作戦で責めてくるんじゃないの?
もう日本人はその偉い人以外に戦う人がいないのに。。
それ、真剣に考えていた人、どんな思考回路だったんだろう。
戦争末期には、日本は降伏するしか無かった運命。
それなら、もっともっと早くに降伏すれば、いったい何人の人が死なずにすんだでしょう。
どれだけの人が壮絶な痛みや悲しみを背負ったのでしょう。
今の時代の私には、なんと身勝手な計画なのか、としか思えない。。
軍国主義というのは、突き詰めれば、本当に本当に恐ろしい。。
もし日本があの時、終戦を迎えていなければ、現在のように先進国になった豊かな日本は、永久にありえなかったのかもしれません。
19世紀の太平洋戦争、パラグアイ戦争
1864年から5年以上続いた、パラグアイ戦争ってしっていますか?
三国同盟戦争とも呼ばれていますが、19世紀の本当に悲惨な戦争です。
太平洋戦争末期、本土決戦を前にして、日本軍はよくこの「南米のパラグアイを見習え」と言っていたそうです。
パラグアイは、19世紀後半に隣接する三カ国と戦い、当時の大統領の失策のせいで、戦況が悪化し、パラグアイ軍はどんどん追い詰められていきました。
戦争は長期化し、パラグアイの殆どの成人男子が死んでしまいました。
最後には、この大統領は残っていた女性や、10歳にも満たないような子供から老人までもを集め軍隊を編成し、みな武器を取り戦いました。
そしてとうとう大統領まで戦死し、この戦争が終わりました。
その時、国民の総人口は戦争前の52万のおよそ半数21万人に、国土は戦前の4分の3程になりました。
ここまでの打撃を受けてしまったら、再度国を発展させるのがかなり難しくなります。
実際、パラグアイはこの後の復興に長い年月がかかっています。
そして、現在でも経済は脆弱で、農村部の貧困は深刻のようです。
まるで、規模が異なりますが、このダウンフォール作戦の19世紀盤のような戦争が起こっていたかのようです。
日本軍は自国の自滅行為までも、歴史に見習うつもりだったのでしょうか。
ダウンフォール作戦の中止
1945年7月16日にトリニティ実験で、アメリカで人類初の核実験に成功しました。
このことで当時の大統領トルーマンはこの原爆を使えば、ダウンフォール作戦の必要は無いと考えたそうです。
そして、アメリカは広島、長崎に原爆を投下し、日本は無条件降伏しました。
こうして、ダウンフォール作戦は行われることなく、太平洋戦争は終結しました。
最後に
広島、長崎での原爆投下では、一瞬にしてそれはそれは多くの人々、その後数十年にもわたり原爆症で苦しめられた人々を生み出しました。
ですが、加害者側のアメリカでは、「原爆を落としたから、日本は戦争を終わらせることができたではないか、ダウンフォール作戦よりはマシではないか」という意識があるというのです。
このことについては、私たち被害者国の日本人には、そんな事は全く考えられません。
ただ、ひたすら死者を悼んで、平和を祈るしかできません。
終戦から今年で76年目、今年も終戦日は ”世界の平和” を願い合掌します。
(※岡田斗司夫さんの動画「広島・長崎に次ぐ最悪のシナリオとは」参照)