Moms-diary’s

思春期の子供2人と中年の夫と暮らす主婦の日記

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夜に放送してた「逆転人生」”娘が残した宿題 社会を変えた医療裁判”を見て、眠れなくなった話し。

ブログ訪問ありがとうございます。

金曜夜遅くに、NHKで「逆転人生」という番組が放送されていました。

その番組の事も知らなかったのですが、主人がバチバチとチャンネルを変えていたら、偶然目に入ってきた内容に衝撃を受けました。

www.nhk.jp

世の中の、感動的な真実の逆転劇をドラマ仕立てで紹介する番組で、お笑い芸人の山ちゃんと杉浦アナがMCを務めています。

見られた方もいるかもしれませんが、その日に放送された内容は。。

社会を変えた医療裁判、衝撃の大逆転劇!事故で赤ちゃんを亡くした夫婦。しかし病院は情報を明かさず、裁判は圧倒的不利。浮かび上がった驚きの真相。そして涙の結末へ。 病院で誰もが当たり前に受け取る診療明細書。その制度実現の背景に、ある医療裁判での逆転劇があった。産まれたばかりの娘を亡くした勝村さん夫婦。真相究明のため、病院と裁判で争う。だが当時は医療の情報開示が十分でなく、完全敗訴。それでも執念で控訴し、ついに逆転勝訴を成し遂げる。だが戦いは終わらなかった。勝村さんは同じ悲劇を繰り返さないため、国の制度改革に向けて動き始めたのだ。20年に及ぶ涙の逆転物語。

(引用:逆転人生「娘が残した宿題 社会を変えた医療裁判」より)

1990年12月、勝村理栄さんは出産予定日の2週間も前だったのに、主治医に入院するように言われ、「子宮口を柔らかくする薬」を1時間ごとに与えられました。

すると、理栄さんの体に異常な腹痛が起こり、助産婦に訴えるのですが、新生児室と陣痛室を掛け持ちしていて忙しいと放置されます。

その後、ますます子宮収縮がひどくなり、呼吸もおかしくなっている状態を主治医は「今夜まだやから、注射」と看護師に指示し、苦しそうな状態なのに理栄さんはさらに陣痛促進剤を注射されていました。

そして理栄さんの状態がさらに悪化、最悪な状態になり、やっとこの医師は赤ちゃんの状態が極めて危険な状態になっていることに気づき、緊急帝王切開をすることになりました。

重篤な状態だった理栄さんはなんとか命はとりとめたのですが、赤ちゃんは9日間後、保育器の中で亡くなったそうです。

夫の久司さんは病院側の取り繕ったような説明に納得がいかず、独自で真相をつきとめようとしました。

 

勝村夫妻、原因追求へ動く

あの「子宮口を柔らかくする薬」というのは陣痛促進剤でした。

陣痛促進剤とは、その名の通り、陣痛を促す薬です。

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出産予定日をすぎても陣痛が全く起こらなくて、お腹の赤ちゃんが大きくなりすぎて危険な状態になる可能性があったりした場合、子宮収縮を促進して分娩を起こさせたり、微弱陣痛が長く続き、長時間の分娩になった場合など、必要な時には使用するべきものだそうです。

でも、この当時の病院では、母体、赤ちゃんの為ではなく病院の営利目的のために使用されることもよくあったみたいです。

その時代の産院では、GWや盆正月、土日祝日、深夜の人件費を削減するために、出産を平日の午後に出産させるように、出産日時の操作することがよくあったそうです。

そのために、病院は必要ではない妊婦に陣痛促進剤を使って、出産を早めることが多かったのです。

その証拠に、GWや盆正月、土日祝日の出生数は激減しているデータが出ているそうです。そして、出産時間帯も午後1~2時の時間帯が深夜の2倍半にもなっています。

 

勝村さんの思いは実り、逆転裁判へ、そして。

勝村さんは裁判を起こしました。

しかし、病院側の証拠として提出されたのは改ざんされたカルテでした。

そこには、「理栄さんは微弱陣痛で笑っていた」と書かれ、そして証拠資料の診療報酬請求明細書(レセプト)は厚生労働省の方針で見せてもらえませんでした。

こんな理不尽な状況の為、勝村さんは裁判に5年も費やしたのに完全敗訴となってしまいました。

 

勝村さんはあきらめませんでした。

裁判に負けた後、ほとんどの産婦人科医に断られながら、相談に乗ってくれる医師に出会い、病院側の資料の問題点を指摘してもらうことが出来ました。

その医師の協力で、控訴審では「病院の責任を認める」逆転勝訴することが出来ました。(やった~!)

勝村さんは「裁判に勝っただけでは問題は解決しない」と言って、事故が起きた病院の研修会に参加し、情報を隠さないオープンな病院になってほしいと求めました。

勝村さんの思いは職員の心に届き、その病院ではその後、診療明細書を全国初で希望する患者に渡すようにしたそうです。

それだけではなく、勝村さんは社会保険医療協議会の委員に選ばれ、そこで診療明細書を全患者が無料で見れるようにすること” を訴え続け、周りの反対に苦しみながら事故から20年後の2010年、とうとう診療明細書の無料発行が原則義務化されたんです。

この勝村さん、すごくないですか?

ここまでやり通せるって、本当にすごい事です。。

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最後に

私の姉は長男を1994年頃出産したのですが、時代的にはまだこの事件の頃に近いなと思ったので、思い出してみました。

姉は出産予定日を過ぎていたので、入院し陣痛促進剤を使用しての出産となったのですが、陣痛促進剤の副作用で、何度も吐いて苦しんでいました。

私は両親にかわって付き添うように言われていたので、側にずっとついていたのですが、とにかく姉の激しく苦しむ様子が恐ろしかったです。

陣痛じたい、見たことがなかったので、これが出産なのだと思い込んでいたのですが、姉がずっと気持ち悪い、気持ち悪いと叫んでいたのは、薬の副作用だったと思うのですが、これが正しい処置だったのか疑わしくなってきました。

結局その時は無事に出産出来たのですが、

時代的には姉も危険な橋を歩かせられていた可能性がないとは言えない。。

 

この病院事故の内容をドラマ仕立てで紹介してくれていたのですが、とにかく病院側のあまりにも理不尽な対応が許せなくて、夜遅い時間の放送だったせいもあり、怒りでその日はベッドに横になっても1時間くらい寝付けませんでした。

病院で診療費領収書と一緒に渡される診療費明細書はいつもなんでついてくるのかなと無知な私は思っていたのですが、これからはきちんと確認していこうと思いました。

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